ほんせんにのって 今から20 年ほど前、高校1 年生だったわたしは下校中の列車で画家の元永定正さんに出会った。その頃わたしは独学で油絵を描いていて、将来は抽象画を描く画家になりたいと思っていた。しかし周囲からは「田舎でわけのわからない絵を描いていても食べていけない」と言われ、同世代で美大を目指す人たちの多くは画塾に通っていて、わたしよりもずっと絵が上手だった。まだSNS のなかった時代、田舎で好きな絵を描いていても先が見えないと感じる中、テレビでみたことのある画家が自分と同じ列車に乗っていた。わたしは勇気を出してその背の高い大きな画家に声を掛けた。1922 (大正11) 年、三重県伊賀市に生まれた元永さんは、当時自宅のある兵庫県宝塚市と故郷伊賀市のアトリエを行き来しながら創作活動を営んでいた。 列車で出会ってから半年後、わたしは元永さんが指導する大阪の抽象画教室に通うことになった。伊賀の外にほとんど出たことのないわたしには、作品を抱えて列車で月に1 度大阪に行くだけでも大変な旅だった。教室には主に関西で活動する画家たちが数十人ほど通っていてここでいろんな人たちと知り合った。最初の教室の日、伊賀から持ってきた自信作十数枚を元永さんに見せると「普通やな」「あかんなー」と言われて講評は数十秒で終わった。「人の描かない変な絵を描きなさい。」「駄作でもいいから、たくさん絵を描きなさい。」と声を掛けられた。 教室が終わるといつも近くの居酒屋で打ち上げがあって、元永さんは若い頃の話をたまにしてくれた。仕事を転々としながら絵を描いていたこと、最初は漫画家を目指していたけれど、浜辺万吉という伊賀の画家に油絵を習って美術の道に進んだこと、神戸に出て吉原治良と具体の作家たちに出会ったこと、カラオケでよく唄う演歌や伊賀の居酒屋など、いくつかの話を今でもたまに思い出す。 今春、JR 西日本は深刻な赤字ローカル線のリストを公開した。このリストにはわたしが元永さんに初めて出会った関西本線も記載されていた。まだ車を持っていなかった頃、改札もない小さな田舎の駅に1 時間に1 度やってくるこのディーゼル車だけが、四方を山に囲まれた伊賀から新しい世界につながる唯一の道だった。時代や環境は大きく異なるけれど、同じような光景を若き日の元永さんも辿ったのかも知れない。今でもこの列車に乗ると、なつかしい人に偶然出会ったり、すれ違ったり、新しく町にやってきた人と仲良くなったりすることがある。 2022 年8 月 三重県伊賀市島ヶ原のアトリエにて 岩名泰岳